Koreans in China Now Live in Fear of Dragnet  July 18, 2002
Elisabeth Rosenthal/The New York Times
 


捜査網に脅える中国の朝鮮人たち   エリザベス・ローゼンタール(中国・延吉)
    ニューヨークタイムズ 2002718日付

 3月になってからというもの、ピャオ氏の家に住む4人の10代の朝鮮人少女たちは、背の低い煉瓦づくりの掘っ立て小屋の奥の部屋を一歩も出ていない。捕まって送還されることを恐れているのだ。オレンジ色のリノリウム貼りの部屋にうずくまり、食べて、寝るだけの、長く退屈な日々を送っている。部屋から見えるものは、裏口の外に立てかけてある粗末な梯子だけだ。

 中国朝鮮族のピャオ氏は、少女たちの身の安全のため、木製の前扉に偽物の南京錠をぶらさげ、窓に板を打ち付けて塞いだ。小屋に誰もいないよう見せかけるためだ。だが、もし警察がドアをノックしたら、少女たちは梯子を伝って壁を飛び越え、木の茂った山の暗がりに逃げこむ手はずになっている。少女たちはほんの2、3カ月前まで、かっこいいジーンズと流行のブラウス姿で、コンピューター教室と美容学校に通っていたのだ。

 だが3月14日を境にして、その生活は突然終わりを告げた。25人の朝鮮人避難民が北京のスペイン大使館に駆け込んだため、朝鮮難民の窮状に注目が集まるとともに、中国側の取り締まりも厳しくなったからだ。
「前は市場に行ったり、友達と遊びに出かけたりもできたのに」。キム・ゴウファ(18)はうつむいて、小さな声で憂鬱な現状を訴えた。「今は恐くてたまらないの」。

 今年になって60人以上の朝鮮出身者が、中国の外国公館を通じて韓国に政治亡命することに成功した。だがその結果、中国に不法滞在する数十万人の朝鮮人難民が、かつてない厳重な取り調べ、拘留、国外追放にさらされている。

 中国のこうした措置は、さらなる亡命を思いとどまらせるとともに、同盟国の朝鮮をなだめようとする努力のあらわれである。と同時に、困難な状況にある朝鮮北東部に対する重要な食料供給ルートを断ち切ることにもなった。数年前に配給が止まったこの貧しい鉱業地帯に、中国への移住者たちはせっせと食料と金を仕送りしていたが、それが不可能になったからである。

 朝鮮との国境地帯に位置する延辺朝鮮族自治州に、この春、バリケードが野の花のように咲き乱れた。そこに武装した国境警備員が配置され、査証のない者や中国語の話せない者が乗っていないか、車両をチェックしていた。

 都市部ではもう何度も抜き打ちで家宅捜索が行われている。朝鮮の兵士が中国内の難民を無慈悲にも一斉検挙する場面を目撃した人もいる。
 1998年以来、ピャオ氏は30人の朝鮮人をかくまったが、そのうち7人が最近の取り締まりで送還された。過去4年間で送還された人数の倍に当たる。救援組織によれば、新規の避難民は昨年の同時期の50%に減少した。

「50人余りが大使館に駆け込んだかわりに、この辺りだけで500人が追放されました。もっと多くの人がこんな生活を強いられているんです」。ピャオ氏はそう言って部屋の隅にいる少女たちを指差した。「大使館への駆け込みを考えている人には、やめなさいと言いました」。

 米国議会は、中国は朝鮮人移住者に政治亡命権を認めるべきだとする議員らの意見に賛同し、入国者を送還しないよう中国に要請した。しかし、中国が朝鮮と友好関係にあり、難民があふれるのを恐れている点を勘案するなら、その解決法は空想的な考えに過ぎない。いずれにせよ、いったいどれくらいの人数が出稼ぎ労働者でなく政治難民の有資格者なのかは、明確でない。国連の調査官が朝鮮人移住者に面接することを中国が認めないため、資格認定は不可能なのだ。

 その一方で、数千人の朝鮮人が、それまで定住していた国境地帯の都市を離れ、比較的安全な田舎や山に逃げ出した。少数の者はピャオ氏のような人にかくまわれた。快活で敬虔なクリスチャンのピャオ氏夫妻は、息子が成長して家を出ると、その後に一人の朝鮮人少女を住まわせた。その子がさらに次の子を連れてきた。だが、他の朝鮮人たちは労働力と引き替えに生活を支えている。

 未舗装のでこぼこ道を、何十本もの小川を渡りながら2時間ほど登ると、泥と板で作られた、粗末で大きな掘っ立て小屋がある。そこで14人の朝鮮人が、ビニールを敷いた大きな台をベッドにして、共同生活を営んでいる。彼らは延吉から数時間離れたこの場所で、裕福な朝鮮族の農民から食料と避難所を提供してもらうかわりに、作物の収穫に従事している。

 朝鮮国境沿いの一帯には、このような農場や小さな工場がたくさんある。中国の過疎地の一つであるこの地域で、朝鮮人たちは安価な労働力を提供しているのだ。
 中国では家族計画関連の法律で、子どもは一家族に二人までと制限されている。また険しい山岳地帯の耕作地では、農業の機械化は不可能だ。農場の仕事で朝鮮人移民が受け取る賃金は月給25ドル程度。中国人労働者の賃金の半分である。

 30歳のキム・クィナンの肌は、太陽の下で働いているために、がさがさになっている。1996年、彼は妻とともに凍結した豆満江を渡って中国に潜入して郊外の町で暮らしていたが、緊張が高まったため、今年のはじめ、その農場の掘っ立て小屋に逃げ込んできたのだという。

 彼は炭坑労働者、妻は機械のオペレーターだった。1995年、急に穀物の配給がストップし、食べる物がなくなった。キム氏は炭坑から盗んだ石炭を売って糊口をしのいでいたが、まもなく逮捕され、ふたたび飢えることになった。

 去年まで、夫婦はある町の郊外の大きな農場に住み込み、妻は野菜の手入れをし、夫はボイラーの修理をしていた。だが警察が朝鮮人を匿っている家をつきとめて、捜査がさらに厳しくなったため、夫婦は朝鮮族の男の伝手で田舎に引っ越した。

「この農場は他よりも安全なようです。人里離れているし、警察の監視もないから」。小柄だが頑丈そうなキムの妻は言った。彼女が座っているビニールシートの敷かれた台は、14人の住人の居間と食堂と共同ベッドを兼ねている。
 すると夫がこう釘を差した。山を少し下った別の農場が一週間前に強制捜査を受け、朝鮮人10人が逮捕されたのだという。「北京の事件のおかげで、私たちの生活はずっと危なくなったんだ」と夫は言った。

 特に都市部に残っている人たちの生活は脅かされている。州都の延吉では、3月以来これまでに3度も戸別捜索が行われた地区もある。ここに暮らす朝鮮人は、何か物音がするたびにびくっとし、ドアがノックされるたびに身を伏せなければならない。

 
延吉で中国人のボーイフレンドと暮らしている一人の女性は、カバブ(羊の串焼き)を売る仕事をやめ、生活費も残っていないという。背が高く、ハイヒールとピンクのブラウスをファッショナブルに着こなした彼女は、すっかり街の風景になじんでいるが、それでも警察に見つかるのではないかと脅えている。

「前はそんなに心配してなかったわ。でも、今は外出するのがとても恐いの」。朝鮮式茶店の二階の奥まった部屋で、彼女はそう声をひそめた。

 彼女は1998年1月に中国に来たが、その時は中国語を一言も話せなかった。朝鮮族の夫婦が助けてくれるまで、行き当たりばったりで汽車にただ乗りし、地名も判読できないまま各地を転々としながら何週間か過ごした。一文無しで無知だったため、二回も中国人の男に売られる羽目になり、二回とも逃げ出した。彼女の値段はいずれも約1200ドルだった。

 2000年にはボーイフレンドのアパートにいるところを中国の国政調査員に発見され朝鮮に送還されたが、すぐに中国に逃げ戻った。
 彼女は長いこと恐怖に直面してきた。だが、いまはこれまで以上に慌てなければならない。「警察がうちのアパートを二回捜索に来たけれど、二回とも留守にしていたの。でも、また来るわ」

翻訳・米津篤八

 

【訳注】「中国に不法滞在する数十万人の朝鮮人難民」(原文ではthe hundreds of thousands of Korean refugees)とあるが、この数字は明らかに過大だろう。中国朝鮮族の人口は中国全体で192万人、うち延辺朝鮮族自治州を抱える吉林省に118万人(90年現在)であるから、それで支えきれる人数は10万人を超えることはないと思われる。