【資料】
ACFの3月9日付けの声明文および報告書に対するハンクネット・ジャパンの評価と批判

2000年5月8日

北朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン
Humanitarian Aid to North Korea, Network in Japan
(ハンクネット・ジャパン)


I.ACFの3月9日付けの報告書が述べる北朝鮮咸鏡北道地域の状況

 フランスを主要本部として国際的飢餓救援活動を行なうNGOである Action Contre la Faim(英語名 Action Against Hunger、「反飢餓行動」ほどの意。以下「ACF」と略称。)が3月9日付けの報告書の中で描いた朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」と略称。)咸鏡北道の状況は、ひとつの観察記録として、じゅうぶん注目されてよい価値があるといえる。そこで、関連した記述を、以下に翻訳して、引用する。

 「過去2年にわたって、ACFは、(同国最北端の)咸鏡北道で5歳以下の子どもたちを受け持つ託児所への栄養面の支援を提供してきた。」「北朝鮮駐在中、ACFの人道的ボランティアたちは、…経済的崩壊と住民の生活条件へのその結果をつぶさに観察した。

 ストリート・チルドレン:
『毎日、われわれは、髪の毛ぼさぼさで、やせていて、ぼろ服を着た、汚れた子どもたちを見る。その子たちはときどき、うんと幼くて3、4歳くらいで、たったひとりでいて、目に見えてひどく弱っている。』

 生存のための人々の努力:
『朝鮮人たちは、薪の荷の重みで身体をかがめ、道にそって歩く。ときどき、彼らは道ばたで休み、眠りさえする。人々の日常生活は、食料を探し、草の根や葉をつみとり、冬の間、自分たちを暖めるための薪を集めることである。』

 見捨てられたインフラストラクチュア:
『道路はくぼみだらけで、でこぼこだ。さらに、燃料がないため車が通ることもめったにない。ほんの少数、薪やトウモロコシの穂じくを積んだトラックが走っているのをわれわれは見た。首都のピョンヤンから800キロ離れたチョンジンまで行くのに3日かかる。』

 水と電力の不足:
『街では停電が頻繁だ。路面電車やトロリーバスなど公共輸送機関はしばしば止まり、朝鮮人たちは長蛇をなして歩道で待っている。水の供給もまた、日に何度も中断にさらされる。…いずれにせよ人間の消費には向かない水だが。』

 見捨てられた工業都市:
『咸鏡北道の道都、チョンジン市は巨大な工業都市であり、数キロに渡っている。しかし、工場は閉鎖されているか、わずかに少しだけ操業されているかのようだ。煙突から煙が出ているのを見ることはめったにない。そのような街で、住民はどのように生きながらえているのだろうか?』」
 「咸鏡北道は、220万の住民をかかえる同国のもっとも人口の多い道のひとつである。それは、同国の北部、ロシアや中国と国境を接する位置にある。この山岳地帯の地理的状況は、(全国平均の18%に対して)土地のわずか6%だけが耕作可能で、農業には不利である。この地域の農業生産では、それだけで地域内の栄養面の必要をカバーすることはできないと言われている。

 ACFの人道的ボランティアが咸鏡北道に到着したとき、彼らはつぎのように記述した。

 『活気がなく、経済的に停滞した地域。チョンジンはこの地域の中心であり、目標を失った大工業都市である。すべての、あるいは、ほとんどすべての工場が閉鎖され、少数の自動車だけが走っている。』『薪の収集と運搬が、冬の間中ずっと主要な仕事のひとつであるようだ。子どもを含む多くの人々が、枝木の大きな束を運んで道を歩いている。薪が暖房の唯一の手段だ。こうして、朝鮮人たちは森を地面にくずしていっている。』

 1999年から2000年にかけて、咸鏡北道では 23万8,000トンの食糧不足に直面している。この道の農業生産は、1日1人当たり 170グラムの食料配給を与えるだけである。

 この道では、人口の大多数が都市部に住み、人口の 78%が公共配給制度に依存している(それは、住民に基本食料品を配給することになっている)。しかしながら、1999年にはこの制度は何も配給しなかった。実際、輸送上の困難のため、伝統的に同国の穀倉地帯である南部の道は、もはや北部のどこの道にも供給しなかった。それゆえ、この道は、住民の栄養面の必要をみたすのに、完全に海外援助に依存している。」

 「ACFの人道的ボランティアたちは、託児所と幼稚園の子どもたちの間の多くの下痢のケースを確認したため、また、水質監視プログラムも行なった。道内の主な市街地域の 14の水道網で行なわれたこうした監視により、配水されている水が汚染されていることが判明した。関係当局は人々に水を煮沸するよう推奨しているが、エネルギー源が利用できないことが人々の直面している主要な問題のひとつであり、かつて、こうした勧告にどれだけ従われたのか非常に疑わしい。

 わずかなコメ粒のひろい集め:
『われわれは、コメが収穫された田んぼで老人たちが穂から落ちたコメを一粒ずつひろっているのを見た。』

 あるいは、わずかな粉ミルク:
『駅で粉ミルクが荷下ろしされたとき、ストリート・チルドレンたちが貨車の通気孔のすき間から枝木で突っついた。貨車の下に小さなプラスチック片を置き、突き刺した袋からこぼれ落ちるわずかばかりの粉ミルクを集めていた。ほかの子どもたちは、レールに落ちたミルクをひろい集めた。われわれは、化学肥料を運んでいるトラックに子どもたちが同じことをしているのを見た。子どもたちは食べ物と思ったのだろう。』

 咸鏡北道の人々は、生きるために必死にたたかっている。あらゆる土地区画は、丘の頂上でさえ使われている。街の住民は、バルコニーで鶏やウサギを飼っている。地元の市場は、明らかに、街に住む多くの人々の唯一の新鮮な供給源としてはじまった。それらは、あまりに人が群がっているので、ACFの人道的ボランティアたちにもすぐ目に見えてわかったが、そこは訪れることすらけっして許可を得られなかった。…」

 「ACFの人道活動者たちは、 1998年と 1999年の間に三度視察した咸鏡北道道都の公式孤児院だと示された2つの施設を訪問することができた。1999年7月の訪問時には、(2つのセンターに1つは0歳から4歳の子ども達を受け入れ、もう1つには5歳と6歳の子どもたちを受け入れている)総計 380人のうち、栄養不良の子どもたちの割合は20%以上に達し、その大多数がきわめて深刻な栄養失調の症状を示していた。人道的ボランティアたちは、ぎょっとして凝視しながら群がる衰弱している子どもたちを見た。託児所や幼稚園にはいなかった栄養失調が、確かにそこでは明らかだった。

 もっとも深刻なケースは1歳以下の子どもたちだった。これらの子の大多数は、緊急に鼻から胃へ通じるカテーテルで栄養補給し、また、再水和される必要があり、さもなければ、その子たちは数日中に死ぬかのようだった。すべての子どもたちがおろそかにされ、汚れた服をまとい、濃皮症か、疥癬(かいせん)のような皮膚感染症をわずらっていた。

 これらの子どもたちは、なぜ手当てされないのか? この子たちは誰なのか?

 これらの子どもたちの素性についての北朝鮮職員の説明は、いくら控えめに言っても混乱している。子どもたちは、(その両親が死んだ)孤児、片親の家族からの、あるいは、『困っている家族』からの子どもたち、その両親が『親の役割を正しく果たせない』子どもたち、『なおったらその施設から去って』、そして、『家族のところへ戻る』栄養不良の子どもたち、と言われた。」

 以上、ACFの報告書の中で描かれた北朝鮮最北東部、咸鏡北道地域の状況は、ひどく停滞した経済活動と今なお、きびしい食糧事情がつづいていることが見てとれる。わたしたちハンクネットは、今回のACFの報告の最大の価値は、これまで北朝鮮国内で直接、支援活動にたずさわった海外NGOによるさまざまな報告のうちでも、もっとも詳細な実情報告のひとつといえる、こうした観察結果の記録と公表にあると考える。


II.ACFの声明文と報告書で述べられた食糧危機の背景に関する結論的な主張への疑問

 ACFの声明文と報告書で述べられた結論的な主張は、その根拠として示された事柄の内容に照らしあわせてみたとき、必ずしも事実の実証的な裏づけにもとづく正当な主張であるとは、とうてい認められないものである。というのも、さまざまな観察から引き出された解釈や認識は、他のあれこれの解釈の余地をおおいに残し、場合によっては、なんらかのいちじるしい誤解すら含まれている可能性が排除できないものである。むしろ、多くの点で、きわめてずさんで恣意的な解釈にもとづく性急な主張であるとみなさざるを得ない。その点を以下で検証する。
 ACFは、3月9日付けの声明文の中で、つぎのように述べた。

 「北朝鮮におけるあらゆる人道支援が、政府運営機関に向けられている。ACFのプログラムは、1,442ヶ所の託児所の5歳未満の子どもたち10万8,000人、1,098ヶ所の幼稚園の5歳と6歳の子どもたち6万1,741人を目標としてきた。…
 過去二年間、咸鏡北道の道都、チョンジンを拠点に常駐していた5名をふくむACFチームは、人道情勢を査定し、プログラムの実行をモニターしてきた。ACFチームの主な所見は以下のとおりである。

1. それら施設に出席している子どもの数は、ACFのあらゆる視察訪問が事前に通知されていてさえ、上にあげた公式数字より少ない。
2. これら施設において見いだされた栄養失調のケースはおよそ1%であり、ユニセフ、WFP[国連世界食糧計画]、欧州連合が実施した栄養調査が子どもたちの間の栄養失調率16%を示したにもかかわらず、そうである。
3. われわれのチームが目撃した栄養失調のたいていのケースは、どんな施設へも来ていない子どもたちの間で見られた。特にひどく打撃を受けているのは「ストリート・チルドレン」であり、その子たちの多くは3歳から4歳で、ひとりで放浪しているのが見られ、また、目に見えてひどく弱っており、食料をあさってけんかしていた。
 こうした状況に直面し、政府運営施設を通じて流される援助は、もっともぜい弱な者たちに届いていないと確信し、ACFは、公式施設の外部にもっとも危険の高い子どもたちの集団を目標とするスープ配給所を設置するよう諸機関と交渉した。しかし、このプログラムを実行する条件は、北朝鮮諸機関によって拒否された。」

 以上、北朝鮮政府機関への非難をも盛り込んだACFの結論的な主張は、おおむね、上記引用文中の1から3の「所見」(事実認識・解釈)にもとづいたものである。そこで、それら三点について、詳細な背景説明の記述がある3月9日付けの報告書にもとづいて検討してみよう。


[1]

 まず、第一点目の「それら施設に出席している子どもの数は、ACFのあらゆる視察訪問が事前に通知されていてさえ、上にあげた公式数字より少ない」という「所見」にかかわる観察および事実認識などの記述を3月9日付けの報告書の中からすべて抜き出してみよう。

 「1998年、99年に、ACFは栄養支援プログラムを遂行した。人道活動者の目的は、『公式』の数字で、1,442ヶ所の託児所に通っている5歳未満の10万8,023人の子どもたち、および、1,098ヶ所の幼稚園の5歳と6歳の6万1,741人の子どもたちの健康と栄養状態を改善することだった。このプログラムは、人道諸機関に立ち入りが認められた咸鏡北道の12の地区で遂行された。」

 「ACFのボランティアたちは、最後には、民衆の状態を査定し、活動の目標を定めるのを可能にする客観的なデータが全く無いということになった。唯一入手できるデータは、北朝鮮国家によって提供され、しかも、照合できず、質が一定でないと思われるものである。たとえば、咸鏡北道におけるACFの栄養プログラムにふくまれる人々のリストは変化し、その数は、1998年と1999年の間になんの説明もなく下方に修正された。1998年に北朝鮮関係当局によって提示されたリストでは、 20万 5,000人の子どもたちが託児所と幼稚園に通っていると明言された。1999年にこの数字は、同じ数の地区について、15万7,000人に引き下げられ、ゆえに、1年以内に約4万8,000人の子どもたちの違いがあった。1998年にあげられた受益者数は、はなはだしい過大見積りのように思われる。そのことは、ACFは存在しない5万人の人々に配給したことを意味するのか? この援助は、どこへ、誰に行ったのか?」

 「1998年と1999年に行なわれた咸鏡北道の託児所への230回以上の訪問中に、ACFの栄養学者は、これらの施設に実際にいる子どもたちの数と、関係当局によって公表され、報告されている子どもたちの数とを比較することができた。われわれの団体によって配分される食糧援助の量は、こうした後者の数字にもとづいている。託児所の所長らはこれら施設に実際にいる子どもたちの数をかなり過大に見積もっていたのは明らかだった。いつも、述べられた子どもたちの数のおよそ半分しか実際には出席していないと観察されたのだから。くいちがいの明確な説明はけっして与えられなかった。しめされた『理由』のいくつかは、『ぐあいの悪い子どもたち』とか、『今日は休日なので子どもたちは親といっしょにいる』とか、(その地域のほとんどの工場が稼動していないときに)『親の仕事の都合で託児所の子どもたちに移動がある』というものだった。

 ある託児所の所長が言った、ときにはもっと気にかかる説明では、『子どもたちがひどい栄養失調で、それで、その子たちは弱すぎて託児所に来れない』というものもあった。

 その地域の託児所の数もまた、多いに過大に見積もられていたようだ。ACFは、それが支援している託児所と幼稚園の名前のリストをけっして与えられなかった。1日に4ヶ所の託児所を訪問させてほしいと求めた栄養学者らは、 1999年全体にわたって、日に3ヶ所しか許可されなかった。北朝鮮の職員らは、前年中にすでに訪問したところでない別の託児所をただの1ヶ所も示すことができなかった。このことからのわれわれの推定は、われわれの栄養学者たちはその道にある託児所のほとんど(あるいは、少なくとも示され『得る』すべて)を訪問したにちがいないということである。彼らが訪問した施設数は、わずか200ヶ所あまりである。その道の託児所の公式数は1,000ヵ所をこえている。

 そのようなくいちがいは、 1,000ヵ所の『託児所』の残りの所に向けられた援助の最終的な行き先についての問題を提起する。援助はかなり他へ向けられ、そして、提供されるべきと主張された多数の施設は実際には存在しないということは、ほとんど疑いがない。こうした、関係当局によって維持される制度の不透明性は、関係当局があらゆる利点を保持する保証となる。…」

 以上、上記の引用文中でACFが問題にしている点を整理すれば、

@ 二つ目の段落にある、託児所、幼稚園の子どもたちの総人数が1998年から1999年にかけて48,000人減ったと通知されたこと、
A 三つ目の段落にある、訪問施設に出席している子どもたちの数は、たいてい所属していると述べられた人数の半分ほどだったこと、
B 後ろから二つ目の段落にある、託児所の総数は1,000ヵ所をこえているのに、200ヵ所あまりしか訪問させなかったこと、である。

 先に見た「所見」の第一点目は、Aにかかわる問題である。けれども、上の引用文中の三つ目、四つ目の段落にあげられている、施設に出席していない子どもたちの欠席「理由」が、不明確で、信ぴょう性のない「理由」であるとは、かならずしも断定できないことは明らかだ。特に、託児所や幼稚園が、栄養不良や下痢などの子どもたちを治療する医療施設ではなく、主に遊戯や習いごとを行なう施設だということを前提にすれば、少なからぬ「ぐあいの悪い子どもたち」が、のきなみ欠席しがちなことはむしろ自然でもあるだろう。WFPによる1999年中の定期報告の中でも、全国で子どもたちの諸施設への欠席がますます多くなっていたことが報告されている。

 したがって、報告書のここでの説明によるかぎり、むしろ、どこの施設でも、たえず半分ほどの人数の「ぐあいの悪い子どもたち」がいるという見方の方が、栄養不良が蔓延している今日の北朝鮮の実情に合致していると言うべきだろう。1998年のWFP、ユニセフ、欧州連合が関わった合同の栄養調査では、62%の子どもたちが慢性的な栄養失調と判定されていたのである。

 さて、上記の@とBについても、かならずしも大きな疑問を生じさせるものとはいえない。まず、@については、ACFは、 1998年の「過大見積り」された食糧援助の一部は「どこへ、誰に行ったのか?」と疑問を呈している。けれども、もし「過大見積り」によって援助を意図的にほかの用途へ流して横領しようとするのなら、なぜ、翌年、その総数を減らす必要があるのだろうか。そのまま「過大見積り」のより大きい総人数のまま食糧援助を受け取ろうとするのではないだろうか。したがって、北朝鮮関係当局にとって、どうしても総数を減らしたリストを提示せざるをえないような事情が説明されていないかぎり、ACFの事実認識は、性急な解釈と言わざるをえない。

 それよりも、 1999年に北朝鮮政府によって公表された、近年の食糧不足による出生率の低下、(乳児死亡を含む)死亡率の上昇などにより、実際に、ひとつの道で年に何万人もの規模で同年齢の乳幼児が減少していると考えるほうがむしろ自然だろう。もちろん、そこには集計上の錯誤や水増しなどもあり得る可能性は排除できない。けれども、いずれにせよACFの疑念を正当化するには、根拠があまりにも薄弱である。

 また、Bに関しては、まず、10万人前後の5歳未満の乳幼児を 200ヵ所ほどの託児所に収容するのは一般に不可能だろう。それだと、1ヶ所当たり平均 500人くらいの子どもたちが所属することになろう。乳幼児の場合、当然、比較的小人数の子どもたちを小部屋で世話をすることになろうし、部屋数など施設面の条件を想定すれば、託児所1ヶ所当たり多くてせいぜい200人、 300人程度が最大規模の託児所であると考えられる。そうすると、そうした大規模で建物や設備などの比較的ととのった託児所というのはきわめてかぎられている可能性が高い。他方で、それぞれのローカルなコミュニティに密着した、小人数の子どもたちだけを預かる「託児室」のような、ごく小規模の間に合わせのような託児所が数多く存在している可能性がないとはいえない。

 アメリカ議会図書館が作成している各国の『カントリー・プロフィール』によれば、北朝鮮では 1970年代初頭に全国で 8,600ヶ所の託児所が存在した、と公表されていたという。それならば、今日、人口の約1割をしめる咸鏡北道に、その1割の 860ヶ所をこえる1,000ヶ所以上の託児所があってもかならずしも不自然とは言えないだろう。いずれにせよ、訪問できなかった託児所に向けられた援助はほかへ向けられているにちがいないというACFの疑念は、ここでもじゅうぶん妥当性があるとは言えない。


[2]

 つぎに、今度は声明文中の第二点目の「所見」、つまり、「これら施設において見いだされた栄養失調のケースはおよそ 1%であり、ユニセフ、WFP、欧州連合が実施した栄養調査が子どもたちの間の栄養失調率16%を示したにもかかわらず、そうである」という点にかかわる、報告書中のすべての記述を抜き出して引用してみよう。

 「ACFの栄養学者らは、一度だけ例外的に(5歳以下の子どもたちを受け持つ)託児所での栄養失調のケースを見ることがあった。1998年と1999年に咸鏡北道のいくつかの託児所を見張り場所としてACFが実施した成長モニタリング調査によれば、これら施設に通う子どもたちの 1%以下が栄養不良だと明らかになった。けれども、1998年10月にWFP、ユニセフ、欧州連合が行なった栄養調査では、北朝鮮の子どもたちのおよそ16%が栄養失調にかかっていることが示されていた。

 その違いはどのように説明されうるのか?

 ACFチームは、たちまちつぎのような事実に直面せざるをえなかった。すなわち、これらの組織に通っている子どもたちはたいていの場合、健康な子どもたちだった。ひどくやせ衰えた、飢えた子どもたちの形跡はなかったが、そういう子どもたちを人道的ボランティアらは彼らが街や村へ出かけたとき、しばしばちらりと目撃した。

 このことは、いくつかの託児所の所長らによって暗示的に認められたのだが、彼らは、自分たちの託児所に栄養不良の子どもたちが属しているものの、その子たちがあまりにもぐあいが悪いか弱っているために出席していないと説明した。ACFは、意図された援助のいくらかがそうした子どもたちに届いているのかどうか、遺憾ながら、強く疑わしいと考える。」

 「ACFの人道活動者たちは、 1998年と 1999年の間に三度視察した咸鏡北道道都の公式孤児院だと示された2つの施設を訪問することができた。1999年7月の訪問時には、(2つのセンターに1つは0歳から4歳の子ども達を受け入れ、もう1つには5歳と6歳の子どもたちを受け入れている)総計380人のうち、栄養不良の子どもたちの割合は20%以上に達し、その大多数がきわめて深刻な栄養失調の症状を示していた。人道的ボランティアたちは、ぎょっとして凝視しながら群がる衰弱している子どもたちを見た。託児所や幼稚園にはいなかった栄養失調が、確かにそこでは明らかだった。

 もっとも深刻なケースは1歳以下の子どもたちだった。これらの子の大多数は、緊急に鼻から胃へ通じるカテーテルで栄養補給し、また、再水和される必要があり、さもなければ、その子たちは数日中に死ぬかのようだった。すべての子どもたちがおろそかにされ、汚れた服をまとい、濃皮症か、疥癬(かいせん)のような皮膚感染症をわずらっていた。

 これらの子どもたちは、なぜ手当てされないのか? この子たちは誰なのか?

 これらの子どもたちの素性についての北朝鮮職員の説明は、いくら控えめに言っても混乱している。子どもたちは、(その両親が死んだ)孤児、片親の家族からの、あるいは、『困っている家族』からの子どもたち、その両親が『親の役割を正しく果たせない』子どもたち、『なおったらその施設から去って』、そして、『家族のところへ戻る』栄養不良の子どもたち、と言われた。」

 「…朝鮮人職員自身によれば、栄養失調のためのなんの手当てもされず、そして、栄養不良の子どもたちは間違いなく、病院に問い合わされてさえいない。じつに、チョンジンの小児科病院を訪問することができたACFチームは、そこでどのような栄養不良の子どもたちをも目撃しておらず、また、その病院では、栄養失調の手当ての頼みの綱である、どんな特別な栄養再補給物も入手できなかった。

 ひとたび、こうした深刻な欠陥が理解されたので、ACFは、栄養失調の手当てを実施するため、チョンジン孤児院内に治療的な活動をする栄養再補給チームをおきたいと提案した。朝鮮関係当局は、いかなる本当の説明もなく、1999年10月にこうした援助の申し入れの受諾を拒否した。北朝鮮関係当局によれば、栄養不良の子どもたちは、『道当局によって世話を受け』、そして、『道は、外部支援の助けなしで自身の手段により子どもたちの状況を改善するつもり』だという。ACFがもしこれらの子どもたちを手当てすることができたなら、その子たちの生命を救うことができたはずなのだから、朝鮮関係当局の拒否は犯罪的である。

 ACFの人道ボランティアたちはまた、いくらかの家族の中では、深刻な栄養不良の子どもたちが単に家の中にとめおかれ、援助もなく、ゆっくりと死んでゆくよう運命づけられていると強く疑っている。彼らは、何度もの要請にもかかわらず、そのような世帯を訪問する許可をけっして得られなかった。」

 さてそこで、上の引用個所においてACFが問題にしている点を整理してみよう。

@ 一つ目から三つ目の段落にかけての、ACFがおこなった調査における栄養不良率 1%以下と1998年の全国調査での16%の間のちがいの理由として、託児所には、ほぼ健康な子どもたちだけが通っており、栄養不良の子どもたちは通っていないのではないか、ということ、
A 四つ目の段落にある、孤児院では、託児所や幼稚園にはいなかった栄養失調の子どもたちがかなりおり、その割合は 20%以上に達したということ、
B 五つ目、および、後ろから三つ目の段落にある、孤児院の孤児たちは、栄養失調にかかっていてもじゅうぶん手当てされず、おろそかにされていたり、病院で治療されていないのではないかということ、
C 後ろから二つ目の段落における、孤児院内に治療チームを置きたいという申し入れを関係当局からこばまれたこと、
D 最後の段落にある、栄養失調の子どもたちがいるような世帯へのACFの訪問について、許可が得られなかったこと、である。

 まず、@の解釈について、託児所や幼稚園で栄養失調の子どもたちがきわめて少ないという事実は、いくつかの託児所の所長らが述べたという説明となんら矛盾する事実ではない。栄養失調のひどい子どもたちがそれら施設に通えず、自宅で療養しているということは十分あり得る。託児所や幼稚園が、治療をいちばんの目的とした医療施設ではなく、保育・教育施設だということを考えれば、むしろ当然のことだろう。そして、これはすでに検討した、託児所への出席率が半分ほどということ共通した問題であり、むしろ一貫した事情によっているともいえる。

 次に、Aについては、引用文中の四つ目の段落の記述にある、孤児院では子どもたちの20%以上が栄養失調だったというACFの調査結果は、むしろ、WFP、ユニセフ、欧州連合がかかわった1998年の栄養調査の数字に近いものである。そして、また、その栄養調査では、母親が亡くなったような子どもの場合、栄養失調の割合がとくに高かったとも判定されていたのであり、20%という数字は全国平均の16%を上回り、むしろ、つじつまのあう数字でもある。

 また、孤児院にいる子どもたちは、世話を受けるべき場所が自宅ではなく当の孤児院だということを考えれば、「託児所や幼稚園にはいなかった栄養失調が、確かにそこでは明らかだった」という事実も、何ら不思議ではない。
Bについては、まず、北朝鮮の経済的な疲弊と物資の払底を前提にすれば、両親のいない孤児らが、孤児院内で汚れた服をすぐに着替えさせてもらえないような状態におかれていたとしても、特別、不自然とはいえない。「おろそかに」されていたかどうかは、まったく見る者の主観的な印象いかんであろう。また、栄養失調の子どもたちの孤児院内での手当てや、小児科病院での手当てがじゅうぶん行なわれているように認められないということにしても、何よりも治療用の医薬品や栄養補給物が欠乏しているためなのかもしれない。ユニセフや国際赤十字連盟などは、全国的な医療品の欠乏、不足について、繰り返し繰り返し報告している。

 CおよびDについての問題は、いわばACFの不満の表明である。自分たちの企画したさらなる援助活動やいっそうの立ち入りの許可が得られなかったという問題である。けれども、これらの問題は、ACFの側の一方的な主張だけからは、その背景や理由を判断することはむずかしい。しかし、おそらく、全国的に、北朝鮮で援助活動にたずさわるすべての援助機関に認められているような活動や立ち入りの水準をこえて、ACFだけに特別な活動や立ち入りが認められるようなことは、まずなかっただろうとは想像できる。

 と同時に、「その子たちの生命を救うことができたはずなのだから、朝鮮関係当局の拒否は犯罪的である」とか、「単に家の中にとめおかれ、援助もなく、ゆっくりと死んでゆくよう運命づけられている」というような主張については、そうした断定的な解釈をゆるす根拠は、なんら示されていないのである。


[3]

 さて、最後に、声明文中の第三点目の「所見」、すなわち、「われわれのチームが目撃した栄養失調のたいていのケースは、どんな施設へも来ていない子どもたちの間で見られた。特にひどく打撃を受けているのは『ストリート・チルドレン』であり、その子たちの多くは3歳から4歳で、ひとりで放浪しているのが見られ、また、目に見えてひどく弱っており、食料をあさってけんかしていた」という点に関係する記述を報告書の中から抜粋して、引用してみよう。

 「…われわれのチームは、同道の中心都市、チョンジン市の街路でしばしば不安にさせる状態のそれらストリート・チルドレンを目撃していた。」
 「ストリート・チルドレン:『毎日、われわれは、髪の毛ぼさぼさで、やせていて、ぼろ服を着た、汚れた子どもたちを見る。その子たちはときどき、うんと幼くて3、4歳くらいで、たったひとりでいて、目に見えてひどく弱っている。』」
 「あるいは、わずかな粉ミルク:『駅で粉ミルクが荷下ろしされたとき、ストリート・チルドレンたちが貨車の通気孔のすき間から枝木で突っついた。貨車の下に小さなプラスチック片を置き、突き刺した袋からこぼれ落ちるわずかばかりの粉ミルクを集めていた。ほかの子どもたちは、レールに落ちたミルクをひろい集めた。われわれは、化学肥料を運んでいるトラックに子どもたちが同じことをしているのを見た。子どもたちは食べ物と思ったのだろう。』」
 「…栄養失調の存在は否定されえない。証拠は、ボロ服を着て、血色の悪い顔色をした見捨てられたストリート・チルドレンであり、その子たちは、ACFの人道活動家らによって毎日、目撃された。これらの子どもたちの存在は、関係当局によって否定され、消し去られている。あらゆる援助の提供が公式に承認されねばならず、また、政府組織の外部ではどれも許可されないのだから、この子たちは近づくことが禁じられた子どもたちである。」


 以上が、ACFの報告書の中で述べられた「ストリート・チルドレン」についてのすべての説明である。

 ACFの第三点目の「所見」では、託児所や幼稚園など、どんな子ども施設にも通っていない子どもたちに栄養失調が蔓延し、それらの子どもたちの多くが、ひどく衰弱した「ストリート・チルドレン」になっているという事実認識のようである。けれども、そうした解釈には、いくつかの疑問が生じないわけにはいかない。

 まず、「所見」で、「われわれのチームが目撃した栄養失調のたいていのケースは、どんな施設へも来ていない子どもたちの間で見られた」というのは、報告書の中で何の根拠も示されていない誇大な表現であると言わねばならない。現に上記引用文の最後の段落にあるように「目撃」しても「近づく」ことができなかったのだから、栄養失調のケースだと医学的に確認できたわけではないことは、ACF自身が述べている。

 次に、上記引用文の二つ目の段落にあるように、「ストリート・チルドレン」と表現された子どもたちは、「ときどき…3、4歳くらい」に見えると述べられている。けれども、それが「所見」では、「多くは3歳から4歳で」と断定的に誇張して表現されている。

 他方、三つ目の段落にある列車の貨車から粉ミルクをかすめ取る出来事の事例では、そういう知恵や工夫をはたらかせられる子どもたちが3、4歳だとは、通常考えにくい。せいぜい6、7歳くらいの小学生以上のように思われる。

 今日の北朝鮮では、栄養不良から子どもたちの発育がいちじるしく遅れ、子どもたちがみな、普通の感覚で見ると、一般に3、4歳くらい小さく見えるというのは多くの観察者たちが異口同音に伝えるところである。人によっては、5、6歳小さく見えるという見方すらある。そうすると、実際に3、4歳の子どもは、ことによると1、2歳の子どもとたいして変わらないように見えるというようなことにもなろう。それならば、よちよち歩きの赤ん坊に近いように見える子どもが「ストリート・チルドレン」をしているということにもなってしまう。したがって、ACFが言うところの「ストリート・チルドレン」たちは、多くの場合、小学生くらいの子どもたちである可能性が高いと考える方が妥当だろう。

 他方、もしかりに、そうした「ストリート・チルドレン」に見える子どもたちが、ときどき、ACFが視察訪問した子ども施設での実際の3、4歳の子どもたちと歳がほとんど違わないように見えたのだとしても、じつは、それより大きな子どもたちの場合、発育がさらに遅らされていた可能性があるという点に留意しなければならない。1999年までのWFPによる定期報告書では、食糧援助プログラムでかなりカバーされるようになった乳幼児より年齢の高い子どもたちの栄養状態への懸念がたびたび表明されてきた。今現在、小学生くらいの子どもたちは、乳幼児期にじゅうぶんな食糧援助など受けていなかったからである。

 では、現在の北朝鮮の小学生たちへの海外からの食糧援助とはどういうものだろうか。食糧援助の大半を行なうWFPの 1999年7月から 2000年6月までの現行の援助計画では、7歳以上の小学生、中等学校生は学校でビスケットなどの栄養補充スナックを受け取る。その量は、小学生、中等学校生1人当たり1日 100グラムにすぎない。それに対して、6歳までの託児所、幼稚園の子どもたちは、穀物などで1人当たり1日420グラムから520グラムである。

 それゆえ、小学生以上の子どもたちにとっては、多少の援助があっても、とうてい空腹を満たせるどころではないだろうと想像できる。学校で栄養ビスケットなどが配給されていても、もし、それぞれの家庭できちんと食事をとることができなければ、じゅうぶんな栄養が摂取できるわけはない。

 かくして、ACFがさまざまな機会に目撃したとされる子どもたちは、「ストリート・チルドレン」というものではなく、ごく普通の一般の小学生の子どもたちなどである可能性が高いと考えられるのである。だとすれば、それらの子どもたちは、ほかの子どもたちに先んじて何か食料を見つけようと、ときには学校を欠席して、街のあちこちへ出かけて行くようなことさえ十分あり得るだろう。そして、もしこうした解釈ができるならば、当然、「これらの子どもたちの存在は、関係当局によって否定され、消し去られている」ということにもなろう。なぜなら、それらの子どもたちは、「ストリート・チルドレン」である以前に、普通の家庭の小学生だったり、孤児院の小学生だったりする、ということになるのだから。

 以上、ACFが3月9日付けで発表した声明文の中のいちばんの眼目である3点にわたる「所見」は、同日付けの詳細な報告書に当たって検討してみると、いずれも根拠があいまいであったり、確たる裏づけのある事実認識や説明とはみなしえないのである。したがって、ACFの結論的な主張も、性急で信ぴょう性に欠けるといわざるをえない。

 WFPを中心とする国連諸機関を通じた北朝鮮への食糧援助は、もとから、それによって北朝鮮の人々の食糧需要をじゅうぶんに満たすようなものではない。カロリー換算で平均的な人間の栄養必要量の75%をみたす、ぎりぎりの必要最低量を基準に査定されたものである。しかも、穀物中心の援助であるため、たんぱく質源などの不足も繰り返し指摘されてきた。また、そうしたWFPなどを通じた海外からの食糧援助でさえ、計画どおり順調に行なわれてきたのではなく、危機的な情勢のひっ迫にうながされて、過去二、三年、なんとかぎりぎり計画が達成されてきたと言えるものである。

 他方、北朝鮮における国内の食糧生産も、ここ一、二年、少しずつ回復しつつあると報じられているとはいえ、肥料やエネルギーの不足などで大幅な増産はまだ見られていない。したがって、今日の北朝鮮では、海外からの食糧援助にもかかわらず、慢性的に食糧の絶対量が不足しているものと想定されるのである。

 人は、飢餓の切迫という、そうした人間の尊厳がおびやかされているような環境においては、容易に不正や堕落におちいるかもしれないとは、誰もが想像できることだろう。それなら、今日の北朝鮮では、一部の者たちによる何らかの利己的な不正や横領などが起こっている可能性はけっして否定できない。ACFのチームは、ことによると、彼らが接した一部の関係当局者たちの、言葉では表現しえない人間としての何らかの不自然さなどを感じ取ったのかもしれない。

 けれども、わたしたちハンクネットは、上で検討してきたように、根拠がきわめて不確かなACFの結論的な主張には納得できない。そして、さらに、その報告書の末尾の以下のようなACFの見解にも強く疑問の念をいだかざるをえない。

 「特にWFPやユニセフのような国際連合の機関は、大部分、アメリカから資金を提供され、同国への大量の援助を割り当てている。こうした援助は、本質的に政治的論理に従っている。つまり、北朝鮮の内部崩壊を避けるという論理だ。援助自体が、朝鮮当局によって巧妙に実行されてきた政治的交渉への西側諸国の回答であり、その朝鮮当局は、核の脅威や弾道ミサイルの可能性を振りまわすことを躊躇しない。北朝鮮の破壊主義的な戦略に直面して、第一にアメリカからのおだやかな反応は、国連諸機関のチャンネルを通じて管理されている。」

 すなわち、このように述べるACFは、今回の北朝鮮食糧援助の活動からの撤退とその理由の主張とを通じて、あくまでも真の人道支援の方法を追求しつづけることよりも、上記のような見解を表明することによって、結果的に、それ自体が国際社会における政治的、イデオロギー的なかけひきや、せめぎあいの何らかの勢力に組してしまうことに堕していると、わたしたちは考える。

 (おわり)